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【 第2話 】森田、腹を括る

当時のKANOA福岡の評判は正直、悪かった。

というのも森田に声がかかった当時、運営資金が枯渇していたのだ。

森田が球団からのオファーを受けた理由は単純だった。妻の実家が福岡にあることだった。しかし、当初の契約と違い、数回給与をもらった後はなんと無給となる。

球団運営の資金が枯渇した原因は、運営が素人であったこと。誰一人、経営のプロがいなかった。当然森田もその一人である。

 

森田はバレーボール選手としての経験は豊富だが、経営はもちろん社会経験がほとんど無く、世の中の流れを全く理解していなかったので、どのように行動すべきなのかも全くわからなかった。

色々な理由が重なり、運営スタッフが一人、また一人と退団した。

 

森田は、0からチームを作る状況となった。そして自らが先陣を切って行動するしか選択肢がない状況だった。

Vリーグに参入するには、数々のハードルを越えなければならない。

 

運営に必要な資金を証明するため、2期以上チームとして法人経営を行わなければならない点、複数年に渡り全国規模の大会で優勝もしくはそれに準ずる成績を収めなければならない点、提携する行政との関係性の構築、ホームゲームに必要な体育館の確保など挙げればキリがないほど大変なものだ。

簡単に審査に通るものではなく、1クラブチームが Vリーグに参入するということはかなりの覚悟や資金を必要とする。

森田は当然、Vリーグに参入する為の書類作成など行なったことはない。

しかし、森田は球団を辞める選択をとらなかった。

 

大見栄を切って福岡に来たのに、すぐに辞める自分を見たくなかった。

当時多くいた理事たちもいなくなり、選手も退団していくなかで、森田は途方に暮れていた。

「僕の存在理由って一体何なのか?」

当時は、コロナ禍で公式試合もほぼ全て中止となった。

当然試合も無いので、スポンサーもつかない状況が続いた。

 

妻に何と言おう・・・。

森田は、自分の判断が家族を窮地に立たせることになってしまう不安に襲われ、夜も眠れなかった。

森田はやったことがない営業のやり方をYouTubeで調べ、自宅や事務所で毎日毎日営業トークの練習をした。

正直、やり方がこれで正しいのかもわからない。でも運営スタッフはほとんどいなくなり営業する人間がいない。

自分がやるしかなかった。

 

練習を重ね、「これで大丈夫やろ!」と自信を持って営業に出かけたが、現実はそう甘くはなかった。電話で営業しても会ってすらもらえない。当時の運営の評判が福岡県内でも悪かったようで、バレーボール界からの評価も低かった。

100件以上電話して、会ってもらえた企業は0だった。

森田は選手としての経験では味わったことのないどん底に陥った。

思うようにいかない出来事ばかりで頭が混乱した。

森田は、0からのチーム作りを行うこと、そしてこの先の経営が改善できるのかの不安から毎日吐き気に襲われ苦しんだ。

しかし、福岡には本音で話し合える人もおらず孤独感は日に日に増すばかりだった。妻や子供にそんな苦しみを見せることも出来ず、自分の車で一人落ち込んだ。

いつか運営の仲間ができ、色々な選手にも出会い、みんなから応援されるチームを作りたい。そんな理想に浸ることが唯一心安らぐ瞬間だった。

 

でも、そんな状況で落ち込んでばかりいられない。

森田は、今後どのような責任が生じようとも、自分で何とか解決していこうと心に誓った。

首では無く、腹をくくろう。

そう心に誓い、新たな選手獲得に乗り出した。

 


(取材・構成:KANOA映画化推進委員会)

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