森田は福岡に来た直後から、翌年に卒業を迎える自分の教え子たちに、卒業後の進路として自分のチームに来ないか、と声をかけていた。
後にキャプテンとなるチームのムードメーカー、松永歩未もそのひとりだ。
松永は大阪で大学3年生のとき、監督として女子バレー部にやってきた森田と出会う。
ポジションは森田と同じ、ミドルブロッカー。松永は、それまで自分が受けてきた“とにかく全部止めろ”というブロック指導とは異なる、“戦略的に考えて、相手をあざむいてしかける“、森田独特の「考えるバレー」に触れるうち、その奥深さを感じ始める。
“バレー、おもろいな“
本人曰く「練習とかちゃんとするタイプじゃなかった」。だがそんな松永がちゃんと練習しよう、と思ったのも、バレーのおもしろさを再発見したことがきっかけだった。
松永は大学卒業後、就職する予定だった。だがバレーに対してもどこか、やり足りない気持ちを感じていた。漠然とそんな思いを転がしていたある日、森田から電話が入る。
「福岡で、バレーやらへんか?」
松永は森田の指導するバレーが好きだった。もう1回、あのバレーをやってみたい。それに福岡という土地は、佐賀出身の松永にとって背中を押す理由のひとつになった。
*
さらに、その松永を通して誘われたひとりが、アウトサイドヒッターの岡留倫子である。
岡留は松永とは違う大学でバレーをやっていたが、大学4年時にはコロナ禍で試合の中止が相次ぎ、なんともいえない不完全燃焼感を味わっていた。
「この感じで、バレーを終えるのかぁ……」
やり切った充足感はないけれど、時は過ぎる。卒業は着々と迫っていたし、現実的に考えて、バレーを続ける選択肢はほとんど考えていなかった。堅実に保育士免許を取得していた岡留。どうしても保育士になりたい、と強い気持ちがあるわけではなかったが、卒業後はまあ、保育士になるのだろうなと思っていた。
そんな折、関西の大学選抜のメンバーとして出会った友人、松永から着信が入る。
松永:「なぁ、福岡でバレーしない?」
岡留:「はぁ?」
松永:「なんかね、森田さんが福岡で監督してるチームがVリーグ目指すらしくて」
岡留:「え〜待って、うちらVリーガーになったらめっちゃかっこよくない?」
松永:「おもろいよね〜!」
岡留:「ガチおもろいよ!」
松永:「選抜で一緒だったメンバー、他にも何人か集まるし。しかも監督森田さんとか、めっちゃウケるやん?このチーム」
岡留:「そうなん? 楽しそうやな。よし、行くか〜!」
正直なところ、そのときはノリだった、と思う。
でも確かに、どこかくすぶっていたバレーへの思いと結びついたのだった。岡留も鹿児島出身であり、福岡で、九州でバレーができることも決め手になった。
だが、親や大学の監督に森田のチームへの入団を報告すると、周囲の反応は微妙であった。
「他にもチームはあるぞ。もうちょっといろいろ見てから決めたらどうだ……?」
森田のチームの評判は当時すでに、全国的によくなかった。運営資金が底をついているところに選手を送る大学の監督からも、心配をされていた。
でも、直感を信じたい。大学選抜の友人も集まる。九州の地で、信頼できる仲間とバレーができる。
それだけでも、森田のチームへの入団を決めるには十分な理由だった。
(取材・構成:KANOA映画化推進委員会)