“今ここで辞めたら、きっと後悔する”
“次こそは。次こそは、絶対にVリーグに上がる……!”
その思いを支えに、チームに残ると決めた選手たちは、なんとか気持ちを立て直していった。新たな仲間が加入したことで、さらに士気はあがった。
そこへ追い風が吹くように、もうひとりの新メンバーが入ることになる。
それがオポジットの山本輝(やまもと・ひかる)だった。山田の同期にあたる大学4年生であり、女子バレーにおける名門大学の選手である。
出会いは偶然だった。
あるときKANOA福岡では、地域リーグの参戦にあたり、練習と試合の助っ人を頼める選手を探していた。話し合うなかで、マネージャー染川の直属の後輩である山本はどうか、という意見が出る。奈良の大学だが、その大学の監督は森田の小学校からの信頼できる先輩でもあった。
ここは甘えよう。そう考えた森田はその監督に事情を話し、山本に助っ人を頼んだ。大学の監督は、快く山本を送り出してくれた。
しかし、その頃の山本はバレーを嫌いになっていた。高校までは地域でも有名で、バレー界での将来を有望視されていた選手だ。だが大学に入った後は、バレーの名門校ということもあってライバルから差をつけられ、レギュラーを獲得できずにいた。
思うように成長できないストレスが募って練習に集中できなくなると、ますます能力は発揮できなくなっていった。周りの選手は当然のように選抜メンバーに選ばれていくなかで、自分はいったい、何をやっているのか……。自己嫌悪に陥った。
悩んだ末、卒業後はバレーを辞めようと決意する。進路として、自衛隊への入隊も決めていた。KANOA福岡の助っ人に来たのは、そんなときであった。
“でも、バレーは今回の助っ人で終わり。これが終わったら、二度とバレーをしない”
山本はそう心に決めていた。
もともと能力の高い山本は、数回の練習ですぐにチームに馴染んだ。練習が終わり、いざ試合を迎える予定だったが、コロナ禍の影響で試合は中止となった。
だがそれまで練習をともにし、山本の動きを見ていた森田には、彼女がダイヤの原石に見えて仕方なかった。どうしても山本が欲しい。だが、自衛隊という国家公務員ブランドと、無名どころか、悪い噂しかないKANOA福岡では、どちらが選ばれるか聞くまでもなかった。
「山本、バレーもう一度やりたくなったんとちゃうか?」
なんとか繋ぎ止められないかとそう尋ねる森田に対し、山本は「まったくやりたくありません」と答え、奈良へと帰っていった。
森田はあきらめきれずにいた。かといって自分には、説得することもできない。くすぶる気持ちを、森へぶつけた。
森田:「森さん、山本がどうしても欲しかったんですが、自衛隊に入隊が決まっていました。さすがに国家公務員に決まっていたら、無理ですよね……。ああ、バレーを辞めさせたくない」
森:「そんなに良い選手なんですか?」
森田:「はい。Vリーグでも通用する逸材です」
森:「じゃあ、スカウトしましょうよ」
森田:「いや、でもさすがに自衛隊、もう決まってるので……」
時は、2月後半。山本はすでに自衛隊へ入ることは確定しており、配属先についての連絡を待っているタイミングだった。
森:「山本さんの連絡先、教えてください。山本さんには、僕から連絡がいくと伝えてください」
森田:「わかりました」
そう言って連絡先を共有したものの、森田は心のうちではあきらめていた。
“さすがに今回は、森さんでも無理や”
だがその約1ヶ月後、山本から連絡が入る。
山本:「KANOAに入ります」
森田:「え? まじ?」
このときばかりは、思わず聞き返した。
*
その決断の背景には、森の立ち回りがあった。
森が山本に連絡をとり、よく話を聞いてみると、山本はバレーが本当に嫌いになったわけではない、ということがわかったのだ。
バレーを続けたい気持ちはあったが、「安定した仕事について両親を安心させたい」との思いが強く、自衛隊に入ろうと考えていた。だからもう、バレーを好きになってはいけない。山本は自分自身にそう言い聞かせていた。
その葛藤を知った森は、山本の両親も含めて、話し合いをした。両親もまた、迷いながらも、山本にバレーをさせたいという気持ちは強くあった。そこで森は、山本とその家族にひとつの提案をする。
「福智町で地域おこし協力隊に応募してみませんか?地域おこし協力隊として福智町のまちづくりの仕事もしながらまず3年間、思いっきりバレーをやってみるのはどうでしょうか。今このままバレーをあきらめたら、一生、悔いが残ることになるのではないでしょうか?」
森の気持ちが通じ、山本はもう一度バレーをやることを決意する。
山本は、地域おこし協力隊に応募し、持ち前のガッツで審査に通過した。
やるからには、てっぺんを獲る。
それが今の山本の目標だ。
(取材・構成:KANOA映画化推進委員会)