「森田さんのバレー? え、まじわからん。なんやろ……。あー、でも、今までいろんな監督のもとでバレーしてきたけど、結構、全体に同じことをさせようとする監督って、多いと思う。指導法も伝え方も。でも森田さんは、一人ひとりに合わせて、言葉も伝え方も変えて、ひとりの人間同士として伝えてくれるというか」
熊本比奈は、森田の指導するバレーの印象をそう語る。
全員が均等に強くなるという考え方もあるが、森田のバレーはそうじゃない。
一人ひとり、違っていい。
欠落している部分もあれば、突出している部分もあったほうが強いというのが、森田の考え方だ。その人の弱点を無理に平均点にすることに注力するより、その人の弱点は弱点のままで、その人の強みを120%引き出す練習を、声かけをする。
“自分が何をしたほうがいいのか明確になったほうが、選手は伸びる“
そう、一人ひとりの才能を尊重し、それぞれの魅力あふれる選手に成長して羽ばたいてほしいという思いを、カノア(自由)というチーム名にも込めたのだった。
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原点に立ち返り、少しずつ、自身の指導スタイルを取り戻し始めた森田。
森田の指導のもうひとつの特徴ともいえるのは、自身の趣味である「落語」に近い指導スタイルだ。
落語には、本題に入る前に世間話や演目の予備知識を解説するような「マクラ」があり、その後に「本題」があり、そして最後に話の落ちである「サゲ」がある。
森田も、話の始めは一見、まったくバレーと関係のないような世間話から入ることが多い。でも最終的には、必ずバレーに結びつく。そんな構成を意識している。
たとえば、チームが不安定でスランプに陥っているときにはこんな話をした。
「仕事には、マニュアルというものがある。だから例えば、今の力が20点くらいの人間が、自分の頭で深く考えずになんとなくやっても、マニュアルどおりにやると60点くらいの平均点が取れるようにできてる」
「ただ、スポーツにおいてマニュアルはないで。なんとなくやって、常に平均点を出し続けるようなことはできん。20点の人間がなんとなくやっていたら永遠に20点やし、もともと80点の人間だろうが、気を抜けばとことんまで落ちていく。しかも落ちているとき、自分ではそれに気づけない。そうならないためには、自分たちの頭で常に考えていかなあかん。なんとなくでやり続けても、平均点はとられへんで」
そんなふうに、選手のメンタルに関わるような小咄が多い。そのときのチームの状況を見ながら、直接的に言及しなくとも、どこかでチームが抱えている課題につながったり、ヒントになったりするような話をぽん、と宙に投げかける。
ある意味、遠回りだ。選手たちにも、すぐに伝わるわけではない。むしろ遠慮なく「わからん」「まわりくどい」などと突っ込まれることもある。反応があればまだいいが、初めのうちは“うさんくさいな……”などと心の内で思われながら、聞き流されるのもわかっている。
だが森田は、真剣に聞かれていなくても、よそ見されて上の空でも、伝え続ける。言い続ける。そうすることでぼんやりとでも、自分の話の一端くらいは、選手のなかのどこかに、蓄積していっているものだと知っているのだ。
そしてその「どこかちょっと、頭のなかにあること」は、試合中、何かのタイミングで思考回路にパッ、とつながることがある。選手の中で何かがつながったタイミングは、「あ、つながったな」と、見ていたらわかる。これまでの指導経験で、そう森田は感じていた。
そして松永はまさに大学時代、森田の指導のもとでそんな“体感”を繰り返して、福岡でバレーがしたいと思ったのだった。
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森田:「次、レフトのストレートがくるで」
松永は事前に聞いたその森田の言葉を信じきれずに、センターの方にも気を払っていた。
“あっ”
そう思った瞬間、レフトから強烈なストレート。やられた!
森田:「俺、なんて言うたんやー!」
やられた、という気持ちはありながらも、森田の声を聞きながら松永には高揚感があった。
森田さんに言われた通りだった。いつもいつも、なんでそんなにはっきりとわかるんだろう。相手の思考を読んで、自分たちも敵を欺いて、戦略的に仕掛けていく、森田さんの“考えるバレー”。
そうだ。そもそも森田さんの指導するバレーに出会って、そんな“考えるバレー”がおもしろくて、バレー奥深いな、と思ったのだった。そして自分も、そんな思考ができる“バレーの頭”になりたくて、この人についていこうと思ったのだ。
ああ、やっと“森田さんのバレー”、戻ってきたかもしれない。
(取材・構成:KANOA映画化推進委員会)