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【 第10話 】森田のバレー(1)

松永歩未と湊ひかりは、大阪の大学でバレー部監督をしていた森田のもとでバレーをしていた。

 

“大多数の人が見るオーソドックスなバレーの視点と、森田が見るバレーの視点は違う。人とちょっと違うところを見る。他の人が見ていない、そのポイントを突いて「仕掛ける」ことで、勝つ”。

 

その体験を幾度となく繰り返して、松永と湊は、森田の「“バレーの頭”がおもしろい」と思うようになった。

 

自分も、そんなバレーができるようになりたい。

 

“考えるバレー”に惹かれてKANOA福岡にやってきたが、当の森田はなんだか、大学での監督時代に比べ、ひどく縮こまっているように見えた。

 

もちろん松永と湊も、チームが大変な状況にあることは感じとっていた。

 

運営陣は選手に心配をかけまいとして詳細は話さないが、大変だということはわかる。練習場所の確保に奔走しているスタッフを見ていて、必死に長距離を往復する生活をしていて。

 

それでも、松永と湊は不満だった。

 

“森田さん、最近、おもしろいバレー、ひとつもしてない”

 

 

 

 

一方その時期、森田も複雑な思いを抱えていた。

 

選手たちは朝から夕方まで働き、何時間もかけて移動をして練習をして、自由時間もないような毎日を送っている。自分も長年バレーをしてきたが、今の選手たちと同じ過酷なスケジュールでやったことはない。

 

そう思うと「仕事がしんどい」と言われれば、それを受け入れなければいけないと思ってしまう。自分も営業に借金に体育館確保にいろいろとしんどいが、選手たちのほうがもっとしんどい状況だとも言える。そんな日々のなかでは、かつての大学での指導時代のように「頑張れ!」と選手たちを鼓舞することが、どうしても難しくなっていた。

 

さらにそんな気持ちでいると、どうしても生じてくるのが「遠慮」や「甘さ」である。そして遠慮や甘さは、「強くなること」や「勝利」からは遠のく原因だ。そうわかっているのに、休日も返上して必死にがんばる選手たちを前に、かつてのような全力の指導ができなくなっていた。

 

“そもそも今のチームの状況だって、自分の指導法に問題がなかったとはいえないのではないか。俺の指導方法は、本当にこれでいいのだろうか……”

 

全部、まちがっているような気がして、自分に自信がなくなっていた時期もあった。

 

「あのころはそんな自分のメンタルで思うような指導ができず、選手にも迷惑をかけたと思う」。後に森田は、この時期をそう振り返っている。

 

だが当時は、借金問題を解決するための営業獲得や、体育館の確保などに駆け回り、また行く先々では“乗っ取りをしたチーム”などのレッテルもはられ、毎日が必死だった。指導方法について自分自身と向き合い、落ち着いて考える余裕もなかった。

 

 

そんななかで叩きつけられた、Vリーグ申請「見送り」通知。

 

松永と湊はこれまで感じていた悶々とした気持ちが溢れ、森田に直球を投げた。

 

「森田さん。もっと今までみたいに、無茶で意味のわからないこと言ってください。らしくないですよ」

 

森田はドキッとした。

 

選手はすべて見抜いている。

 

チームが大変な状況であることも、その状況の中で、自分が思うような指導をできていないことも。そして、「選手を守りたい」と思うがゆえの遠慮や甘さが、結局選手やチームのためにならないどころか、むしろ逆の結果を招いてしまうことも。

 

だが。

 

“あの時のような指導ができるのか?”

 

大学での指導時代を思い出しながら、森田は自問した。それを自問してしまうほどに、守りに入っている感覚があった。

 

しかし、落ち着いて真剣に向き合って考えてみれば、答えは明白だった。

 

このチームの、このメンバーで、1年後には必ずVリーグに上がる。それが目標ならば、遠慮や甘さは足を引っ張るだけだ。必要なのは、自分の信じるバレーを貫くこと。それを一切の甘えなどなく、選手たちに全力で指導すること。それしかない。

 

福岡に来て、1年以上の月日が流れた。

 

ようやく目の前の霧が晴れてきたような感覚があった。

 

 

(取材・構成:KANOA映画化推進委員会)

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