そうはいっても、まだ森が手伝ってくれると決まったわけではない。ドキドキしながら面会に行くと、森はひとこと、森田にこう言った。
森:「Vリーグ参入への可能性は?」
森田:「現在、申請中です。できる限りの努力はしました」
森:「今後の課題は?」
森田:「Vリーグに参入した後には、どこかの“まち”と提携することが必要ですが、そのあてがありません」
森:「そうですか。わかりました。ではまた連絡します」
時間にして、わずか10分足らず。
“え? これだけ……?”
忙しい森とは、アポを取るのもひと苦労だった。それなのに、こんなにも短時間とは。何かまずいことでも言ってしまったのだろうか。期待が大きかった分、落胆も大きかった。
“どないしよう、この先、何のアテもあらへん。貯金もあらへん。もう限界や……”
そんな心境のなか、面会から数日後に森から連絡が入った。
森:「スポーツでのまちづくりに力を入れたい行政に話をしました、1週間後に町長と面談ですので資料の準備をお願いします」
森田:「ええ?! まだそんなに時間経ってませんけど。どういうことですか?」
森:「実は、前から手伝おうと思ってこっそり準備していました。Vリーグ機構の参入条項を調べたら地域との連携が必要と記載がありましたので。」
あっけらかんと話す森を前に、森田はあまりの急激な展開についていけずにいた。一体何が起きているのか。いざ提携するといっても、何をすればいいのか。多くを語らない森に不安を抱えながらも、とにかく信じるほかなかった。
そして後日、福智町を紹介される。
福智町は、福岡のちょうど真ん中あたりに位置する筑豊エリアの自然豊かな町である。かつては、炭鉱で栄えた町であり400年以上の伝統を誇る「上野焼」は、国から伝統的工芸品の指定を受けている。
登山の町としても盛んで、福智町のシンボル「福智山」は、多くの人で賑わっており、登山後に入る美肌温泉が最高に気持ちいいと評判である。
余談ではあるが、童謡「うれしいひなまつり」や「かもめの水兵さん」などの作曲家として有名な河村光陽氏の出身地も福智町である。
そんな福智町の町長をはじめとする役場の方々を前に、森田はKANOA福岡について説明を行った。
そこで自分がどんなふうに説明をしたのか、森田は覚えていない。現役時代、パナソニックパンサーズで優勝をかけた大一番以上に緊張し、小刻みに震えていた。
しどろもどろの説明を、町長は優しく頷きながら聞いた。
説明が終わり、深く考え込んでいるように見えた町長が口をひらく。
「わかりました。今日のお話を聞いて検討してみます。」とお言葉をいただきその日のプレゼンは終了した。
森田は不安だった。正式なプレゼンなど生まれてはじめての出来事だった。
その日は不安で一睡もできなかった。
それから数週間後、福智町から連絡が入り再び面談に向かった。
町長から「福智町でKANOA福岡をバックアップします。フレンドリータウン協定を締結し互いに協力し合いましょう。福智町で思いっきり練習して、強くなりなさい」と告げられた。
突然の出来事に、頭が追いつかない。
それまで、どこに行っても嫌われてきた。温かい歓迎を受けたことはなかった。それが今、福智町の皆さんから温かく迎えられている。森田は胸が熱くなり、気づけばズボンをギュッと強く握りしめていた。
その日の練習で、さっそく選手にそのことを報告する。だが予想に反して、選手たちはあまり喜んではいなかった。というよりむしろ、複雑そうな顔をしていた。
選手の松永が言う。
「森田さん、ここで喜んでダメやったときはショックが大きすぎるわ。今まで、散々ダメやったけん。本当にフレンドリータウン協定を締結して、記者会見開いて、実際に提携してみなわからんやん。油断したらダメばい。福智町はとてもいいところやと思う。でも福岡市からは遠いし、実際どうするつもりなん?」
森田はドキッとした。
“何やコイツ。いつもはマヌケみたいな顔しとるが、ここぞとばかりに正論や。こんなとき、リク(松永のコートネーム)の勘は当たる。気を引き締め直さんといけんな”
幸い、福智町との話はトントン拍子で進んでいった。しかし、松永の「油断したらダメ」という勘はその1か月後、最悪の形で的中してしまうことになる──。
*
「KANOA福岡2021年8月19日、福智町とフレンドリータウン協定締結」
福智町との協定は無事に結ばれた。テレビや新聞などの取材もあり、KANOA福岡という名前は多少なりとも世間に広まった。
“やっと、一歩前進だ”。森田はほっと胸をなでおろした。
福智町との協定では、福智町がKANOA福岡に練習場所を提供する一方、KANOA福岡は、まちの子どもたちや学校のバレー部を対象にバレーボール教室を開いたり、スポーツを通じてまちを活性化させ、協力し合うことが定められた。
福智町の合宿施設や体育館を用意してもらい、温かい歓迎を受けたKANOA福岡は、さっそく福智町でチームの合宿を開く。
合宿でKANOA福岡はメンバー一同、福智町の方々から大変に温かいもてなしを受けた。今までどこへ行っても邪険にされ、相手にされなかったチーム。福岡に来て、ここまで歓迎してもらったことはなかった。
森田はもちろん、コーチの瀧元もマネージャーの染川も、アナリストの高本も、あきらめずにがんばって続けてきてよかった、と心の底から感じ入った。選手のなかには、感動して涙を流す者もいた。
“みんな、心の中では不安で不安でたまらんかったんやろな。それも僕が不甲斐なかったせいにほかならない。ごめんな。二度とそんな思いさせんから”
「森さん、必ずVリーグに参入してこの御恩を返します」
森田は、森にも感謝し、そう誓った。
その誓いが、絶望の底に落とされることはまだ予想していなかった。
一方の森は、その合宿で初めてKANOA福岡の練習風景を見た。
そもそも森は、まちを紹介する手はずだけ整えて、その後はチームに深く関わるつもりはなかった。だが、練習風景を見て、選手と接するなかで、気持ちに少しずつ変化が生じていく。
毎日朝から夕方まで働きながら、夜の練習をして、土日も返上し、Vリーグ昇格を目指してひたすらにがんばっている選手たち。その熱量を目の当たりにした森は、「こんなに一生懸命やっているなら、ちょっと手伝おうか……」と心が動いていった。
*
もちろん選手たちにとっても、福智町との出会いは大きな支えになった。
町長には、借金を抱えていたことも含め、チームの背景や事情をすべて話していた。一番しんどかった状況を、隠さなかった。それでも町長はじめ、福智町の人々は選手たちに色眼鏡をかけることをせず、心から温かく迎えてくれた。
まちが用意してくれた、体育館。
まちの人が差し入れてくれた温かいお弁当。
それ以外にも、「ちょっとそこで、これ買ってきたから」といって、果物や飲み物など、まちの人々が入れ替わり立ち替わり、いろいろな差し入れを持ってきてくれた。
──自分たちのために、こんなに温かく接してくれる人たちがいるなんて。
染川:「森田さん、なんか、泣きそうですね……」
森田:「そうやな……」
それまでは先入観で“めちゃくちゃなチーム”というレッテルを貼られ、どこへ行っても冷たい視線を感じてきたKANOA福岡のメンバーにとって、そのもてなしは何の誇張もなく、感動的な出来事だった。
このまちなら、もしかすると。
いつかここをホームタウンとして、生活の拠点を置きつつ、バレーに専念できる未来がありえるかもしれない。どことなく、選手たちもそんな予感に包まれていた。
*
町長は自身もバレーボール経験者だったこともあり、孫世代であるチームメンバーをとてもかわいがってくれている。
その一方で、選手やコーチは地域おこし協力隊の活動に参画し、小中学校のバレーボール教室に教えにいったり、スポーツで地域に貢献する活動を行っている。まちを歩けばあちこちで声をかけられるほどに、もうすっかりまちに馴染んでいる。
そんなふうにまちが心から応援してくれ、自分たちもまちに貢献させてもらえるという温かい関係性は、チームにとっても非常に心強く、ありがたいものだ。
福智町はこれからも、チームを優しく見守り続けてくれる大きな存在である。
──初めての合宿から1年後、2022年の夏には、福智町とKANOA福岡にそんな未来が待っていることを、当時のチームはまだ知るよしもない。
ただ、KANOA福岡が初めての福智町合宿でまちの人々から受けとったものは、そんな未来を予感させる、救いのような温かさであった。
(取材・構成:KANOA映画化推進委員会)