奇しくも前のメンバーが全員退団した翌月、2021年の3月から、大学卒業とともに続々と関西から森田の教え子たちが到着し、選手として森田のチームに加わりはじめた。
新しい選手たちを迎え、気を取り直して新体制をつくっていこうという時期。
心機一転、チーム名も選手を含めて意見を出し合い、『KANOA福岡』(後のカノアラウレアーズ福岡)と一新した。カノアはハワイ語で「自由」を表す言葉。選手一人ひとりの才能を尊重し、バレーボールを通じて「自由」に羽ばたいてゆくイメージを込めた。
だがそんな思いとは裏腹に、一番の問題は、悪評だった。
そもそも森田は福岡出身の人間ではない。当初の運営者が、素人運営だったため、色々なところで素人集団、お金にルーズという評価であり、Vリーグに参入することは不可能と判断されていた。
“ほら、あれが大阪から来た、めちゃくちゃなチームの監督の……”
“しかもなんかあれやろ、お金がない貧乏チームらしいやん……”
表立って誰かが何かを言ってくるわけではなかったが、周囲からそんな視線を向けられていることを、森田は日々感じていた。かつての運営者のイメージで、森田や今のチームメンバーは「礼儀も知らない無礼なチーム」という誤解をされたまま、悪評だけが広まっていた。
2021年の6月には、天皇杯・皇后杯の九州におけるクラブチーム予選があり、KANOA福岡は2勝をあげ、九州ブロックラウンドの進出を決める。だが勝利しても、評価される一方で、「あのチームはほら、関西から大勢、選手を集めてきて……」と噂されるのであった。
他チームに練習試合の依頼を投げかけても、「あー、ちょっと、カノアさんとは……。うちの評判も悪くなっちゃうので……」と断られてしまう。
腫れものに触るように、誰からも距離をとられているのは明らかだった。
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一方、そんな状況のチームにもかかわらず、全員退団から3か月後の2021年5月には、V1、V2リーグで活躍した経歴を持つ熊本比奈が新メンバーとして入団する。
これはKANOA福岡にとって、なかなかの衝撃でもあった。
Vリーグで活躍してきた熊本はなぜ、Vリーグに昇格していないKANOA福岡にやってきたのか。
福岡県出身の熊本は、全日本高校選手権では1年時に優勝、キャプテンとエースを務めた3年時は準優勝した経歴を持つ。卒業後はV1チームであるトヨタ車体クインシーズに入り、その後V2チームのブレス浜松へ移籍してバレーを続けてきた。その経歴や活躍から、バレーを志す同世代の中では広く名の知れた存在でもあった。
“やるからには、優勝する”
どのチームにいても、勝利に対してひたむきに向かってきた熊本。しかしバレー界でキャリアを重ねてきて、年齢的にも、先のことをいろいろと考え始めていた。今からの時代、バレーボールだけではダメだ。チームとして、もっと地域に貢献できることをやりたい。
行き場のない気持ちを抱えてモヤモヤしていたころ、故郷である福岡にバレーチームがあることを知る。それがKANOA福岡だった。
最後は福岡で、親元でバレーをして親孝行がしたい、という思いもあった。地元であり、未だVリーグのチームがない福岡を、バレーを通して盛り上げられたら本望だ。
福岡に帰省したタイミングで、熊本は森田と面談した。
当時のKANOA福岡は、正直どん底にいた。選手全員が一斉に退団し、「貧乏チーム」と噂され(本当に貧乏だったが)、周囲からも冷たい視線を浴びていた、まさにその頃である。かつては20社いたスポンサーも一気に離れ、わずか4社に。
だがそんななか、熊本は、KANOA福岡を選んだ。
最終的な決め手は「どん底にいるチームは楽しそう」と直感したこと。
もともと前のチームを辞めるときに、周囲の人が自然と応援したくなるような、愛のあるチームでプレーがしたいと、そう思っていた。森田と話し、カノアの練習風景を見学して、チームが持つその雰囲気に自然と惹かれた。“周りの評価と明らかに違う”。熊本は思った。
森田が、決して楽観できないチームの現状を正直に語ったことも、信頼できた理由のひとつであった。
「正直、今はしんどい。運営的にも、予算はないし、回っていない」
率直に、森田は言った。
「ただ、ここから立て直して、Vを目指すのは本気やから」とも。
どん底にいるチームだからこそ、そこからVリーグに昇格させ、数年後にはV1リーグ入りを目指していく。真剣に話す森田の言葉には、嘘がないと感じた。
自分の地元でバレーをして、初めてのVリーグ入りを目指したい。なぜだか惹かれてしまうこのチームで、一緒にその逆転劇をつくってみたい──。
勝利に対してまっすぐな熊本の思いと、森田の方向性が重なった。
他のメンバーも、Vリーグ経験者、かつ当時最年長であった熊本を特別視することもなく、いたって普通に迎え入れた。変な遠慮や気負いがないメンバーたちと、純粋に「勝ちたい」を共有して向かっていける環境は、熊本にとって心地よかった。
“このチームで、このメンバーで、Vに上がりたい”。
愛のあるチームという直感は次第に、確信へと変わっていった。
(取材・構成:KANOA映画化推進委員会)